変身譚録

人が何かに変身する作品について話してみる

劇団四季『ノートルダムの鐘』

どうも、お久しぶりです。
集計をしながらどうやって結果として掲載すればいいか悩んでるうちに2ヶ月経過しちまいましたね。
その間仕事でアワアワしたり向いてないのでは…と落ち込んだりの日々です。
まだ踏ん張るけど。まだやるけど。

そんなわけで友人が気晴らしに色々遊んでくれるんですが、先日劇団四季の『ノートルダムの鐘』を観てきました。
コチラ。

『ノートルダムの鐘』作品紹介|劇団四季


言わずと知れたディズニーコラボレーションの作品ですが、いくらかネタバレを含みつつお話しして行こうと思います。
なお、今回はケモノへの変身ではないので、ご興味がない方はゴーバックでございます。ごめんね。

 

 ディズニーアニメに置ける『ノートルダムの鐘』の概要は以下の通りです。
15世紀フランスはパリの判事・クロード=フロローはあるときジプシー狩りの最中に逃亡した一人の女性が残した赤ん坊を拾う。一目見て怪物だと呻き(カジモドの片目の上と背中にコブがあり、手足が歪んでいたため)、それを殺そうとしたフロローを、教会の大司祭が咎めたことで子供の命が救われた。
フロローは赤ん坊に「カジモド(なりそこない/ほぼ、という意味だそう)」という名をつけ、ノートルダム大聖堂の鐘つき男として育てた。
カジモドは外に出ることもなく、ガーゴイルを友として生きるが、ある年お祭りへの好奇心を抑えられなくなり、大聖堂を出てしまう。そしてトプシー・ターヴィーという道化の祭りに参加するが、舞台に上がったカジモドの容姿が仮装ではないと気付いた人々にものを投げられた。
祭りの舞台に誘ったジプシーのエスメラルダは責任を感じ、カジモドを助けるが、もともとジプシーや祭りをよく思ってなかったフロローはジプシーを苛烈に駆り立て始めるが、その胸中はエスメラルダへの歪んだ恋心に蝕まれつつあった。
そしてジプシー狩りに護衛隊長のフィーバスも加わるが…?

というような感じでした。なお最後はハッピーエンドです。
ディズニーらしいいい感じのお話ですが、特にジプシーの狂言回しのクロパンがいいキャラですね。グッ。

そして四季なんですが、四季はキャラの見た目はディズニーにかなり揃えているのですが、原作よりです。
フロロー判事はフロロー大司祭に、カジモドはフロローの弟の息子(!)ということになっています。
孤児だったフロローとその弟は、ノートルダム大聖堂の司祭に拾われ、ノートルダムで育ちます。
しかし奔放な弟はある日ジプシーの女を連れてきたことが元で、追い出されてしまいます。ブラコンのフロローは今まで散々カバーしてきたのに…と落胆しますが、やがてフロローが大司祭になった頃、流行り病に倒れた弟から手紙が届きます。
ジプシーの女とジプシーのように暮らして戻ってきた弟は、これは俺の息子だ、兄さんなら俺の代わりに育ててくれるだろう?とその子を託して死んでしまいます。
フロローはこの子供を救う(教会の敬虔な信者にする)ことで、自分の弟に出来なかった更生(愛の押し売り)を成し遂げようとするのだった…
という、やや原作ともズレぎみで新解釈な物語になっていました。
終わりはほぼ原作だったようです。原作まだ読んでないゴメン。

本舞台の主人公はフロロー……ではなくカジモドなのですが(↑みて、フロローの回数の方が多い)、劇団四季では最初に問いかけがあります。

「教えて欲しい、人間と怪物の違いはなんなのか」

それは観客にも問われた質問でした。
最初に舞台にこの舞台を彩る俳優達が並び立ちます。
その中心に、カジモド役の俳優の方がやってくるのですが、登場した時は普通の、どこにでもいる青年では…という様子です。
そして問いかけをした後、彼が自分の顔をごし、と大きくこすると、この舞台の上で怪物であることを示す黒いラインが顔に現れます(上記リンクのギャラリーをご覧ください)。
そして、アンサンブルのサポートを受け、背中にコブ(きぐるみのアンコみたいなもの)を背負い、ボロボロのストールを巻きつけたところから、足を引きずり、どこか不自由な動きへと変わります。

舞台の上で怪物として扱われるものに、人が目の前で変わって行く。
それがしかもなかなか見目の良い美青年であるわけです。
結構ゾクっとします。
言い方が悪かったら申し訳ないのですが、本舞台に置けるカジモドは障碍者の姿をしているわけです。
手足のねじれから動く時は少しびっこを引いていますし、両腕の動きもぎこちなく、腕があげにくい様子が見られます。
また、長年の鐘つきで聾者であり、喋ることも覚束ない様子です。
しかし非常に力持ちで、器用に動き、また跳躍力にも優れます。
そんな彼に対し、フロローが自分の手から食事を与えるシーンなどは、まるで犬のように扱われているように見えます。
最後にカジモドは非常に人間らしい心理からエスメラルダ、そしてフィーバス、フロローへの行動を決めていきます。

なお、最後の方にはカジモドだけが人間であるシーンもあります。
その先に再び同じ問いかけをされた時、観客がどう思うか。
そういう深い問いかけのある舞台でした。

まだしばらくは上演があると思うので、お時間が取れるならぜひ見ていただきたい舞台だと思います。