変身譚録

人が何かに変身する作品について話してみる

『きりひと讃歌』歪みゆく人、小山内

どうも、今回は手塚治虫作品の一つ、『きりひと讃歌』です。
以前別の記事でも書いたのですが、私は変化の方向性としては形の歪み→被毛の発生だったり、ゆっくりと時間のかかるシーケンス描写を好む傾向があります。そういった意味では大変嗜好を満たしてくれる作品であり、また医学の世界のエグさみたいなものを感じちゃう作品です。手塚治虫が医療関係の方に明るかったという話もあるようなので、よりリアルっていうか。

ではいつものざっくりあらすじ。
小山内桐人は大阪のM大学医学部でモンモウ病と呼ばれる奇病の患者を担当することになり、対処療法のみで解決出来ないまま患者は変形による症状で死んでしまう。小山内はこの病気が川の水や土質に由来する中毒だとする仮説を立て、友人の占部とともに研究を始めた。しかし上司の竜ヶ浦教授はウイルス、伝染病説と考えており、考えが相違してしまう。小山内は竜ヶ浦の指示により患者の故郷である犬神沢へ研究のために赴任することになる。それは竜ヶ浦が自分の権威を確立するために小山内を院内から排除するための企てでもあった……

というようなお話。小山内の周りの人間関係がメインのドラマなのでそのあたりは自分で読んでもらうとして、我々的主眼になる変化の理由です。
モンモウ病は頭痛や異食症を発症する諸症状の後、全身に麻痺を起こしながら肉体が変形し、最終的に犬に似た姿に変形して肉体の不備から呼吸困難で死亡するという病。最終的に犬神沢の沢の水に含まれる鉱物が原因で、体内に入り込んだ鉱物がホルモン機能などに影響を及ぼすことで骨格の正常な状態が保てず歪んでしまう、ということが語られます(たぶん。頭が悪いのでこういう細かいお話になってくるとどうにもこうにも…)。
途中、奴隷扱いの黒人の他、白人女性にもモンモウ病が発症していることがわかったり、台湾ですわ感染か!と思われた原因が別のところにあったりと、最終的に物語に深く関わる人物にモンモウ病が出る、という展開です。
モンモウ病は犬神沢の水の摂取をやめれば進行が止まるようで、桐人はそれを突き止めたためにモンモウ病でありながら死ぬことなく世界を旅することになりました。しかし恐ろしいことにはモンモウ病の原因となる鉱物が含まれた水は量が少なくても継続摂取することで発症がありえるようなのです。犬神沢の人間が普段口にしているのは沢の水ではない、ということなのでしょう。発症者はそれぞれ犬神沢の特産となっている酒、医薬部外品を使用したことで発症していました。白人女性のヘレン、黒人の奴隷達は実際にはクオネ・クオラレ病という別の病気らしいのですが、黒人の方は岩から染み出した水を舐めていることがあったということで、こちらでも鉱物の存在が示唆されています。ヘレンの感染源についてはよく覚えていないのですが…
ということで、世界中どこでも特定の鉱物が含まれている可能性があれば発症しうる病気であるというころでした。

痛みは耐えられる、という人には魅力的な病でしょう。実際になぜそういう歪み方をするのかは私にはちょっとわからないのですが、合理的に説明できればカッコイイなぁとか思ったりします。脳の重さに柔らかくなった骨が耐えきれず、重圧から押し出された骨はもともと前側にでっぱっている頭蓋骨の前方に主に負荷がかかって、前側に歪む。その過程でどうしても鼻が顎の硬い部分と頭との圧縮に潰されて横に広がり気味になり、ついで皮膚や肉が歪みから弛むことで犬の口吻の様相となる。耳も同様に軟骨が柔らかくなって垂れ下がる。指は神経系統が麻痺して動きが悪くなり、血行の悪さから筋肉が弛緩して、骨の歪みと一緒に縮こまる。……とかね。

最終的に桐人に真に仇なす人間は大抵モンモウ病となり、それ以外の人物はクオネ・クオラレ病に罹患しているような形になっていた気がします。各種書評にあるように、桐人は名の響きからキリストを模しているのかもしれません。ゴルゴタの丘を獣化という十字架を背負い、人に石を投げられ、社会からのきつい締め出しといういばらの冠を被って歩みを進める姿には切なさばかりが募りました。
手塚作品の中でもかなりのボリュームがある方だと思いますが、文庫で3巻。人生のスパイスにもちょうど良い苦味だと思うので、ご興味があれば是非。

きりひと讃歌』でした。