変身譚録

人が何かに変身する作品について話してみる

『犬の心臓』あるいは傲慢の行方

どうも、今回はミハイル・ブルガーコフの『犬の心臓』についてです。
ロシア革命後にソビエト体制を皮肉った形の作品として発禁処分を受けていましたが、ここ数年で日本では二回新翻訳が刊行されています。
社会的思想を表した文学作品ですが、特にそういった要素を理解していなくても作中である程度表現されるので、勉強などはしなくても大丈夫です。
ニートになって時間が取れたおり、すぐに読み終えていたのですが、なんとなく今になって感想らしきものを書いてみます。
なおこの作品は犬から人化なので、そこだけご注意ください。

KAWADEルネサンスからも出版されていますが、私が読んだのは新潮社版の文庫です。

www.shinchosha.co.jp


 

では、ざっくりあらすじを。
作品は犬の独白から始まります。労働者と資産階級の人間の生活の差や、冬の厳しいロシアの生活を犬の視点で見た後、ある資産階級の人間、壮年の医者に拾われます。翻訳によって色々違うんですが、読んだのは新潮社版なのでコロという名前をつけられ、やがてその家に飼われて行きます。家はとても裕福な医者のもので、部屋がたくさんあり、医者の待合室や治療室、書斎など、生活空間と隔てられた環境もありました。そしてコロは生活の場の方で幸せな生活を送ります。しかし壮年の医者と若いフォロワーの青年にはある考えがあり……という話。
登場人物は壮年の医者、中年の女中、若い女中、青年の医者と、それを糾弾したい中央管理局の男、その下で働く若い革命家たち。そしてコロです。
コロは街の食堂で負わされた脇腹の火傷も癒えて、ようやく元気になります。が、ある日いつもなら入ることが許されない、治療室の方に入れられて、麻酔を打たれます。そしてそこに運び込まれた一人のプロレタリアの男の、あろうことか脳下垂体と睾丸がコロに移植されます。
これこそが医者であるフィリップとその助手のボルレンタールの狙いでした。そして手術のあと、犬の独白はなくなり、ボルレンタール青年の手記になります。

 

我々的に読むべきはその下りでしょう。
脳下垂体と睾丸を移植された犬は次第に人間らしくなっていきます。毛が抜けて、二本足で立ち上がり、やがて鸚鵡返しの言葉や、どうやらプロレタリアの男が使っていたと思われる言葉を話すようになり、やがて服を着ることやスムーズな会話が可能になって行くわけです。
その変化の詳細を記しているボルレンタールの手記は興奮に文字がおかしくなったりしていることが記載されていて、読んでいる方も惹きつけられます。
そして話はコロが家の中でどのように扱われているか、ということが描かれていきます。
資産階級の世界に突如、というかじりじりと食い込んできた労働階級の男。それが元は犬だとわかっていてもあまりにも人間的すぎるために、人間としての行動を強く要請します。
しかし彼は次第に名前を欲しがり、住民としての証明を欲しがり、女と酒と金を欲しがります。つまり人間として認められた行動を取りたがるのですが、それは主にプロレタリアの人間が求める活動でした。彼は徐々に借金をしたり暴力に訴えた行動にでるようになります。金をせびられ、住宅管理委員会に住宅の一部の提供を強制されそうになり、フィリップの我慢は限界を迎えます。

コロフと名乗るようになった犬人間が姿を消して10日、住宅委員会のシュヴォンデルや革命家、警官が押し寄ます。容疑の内容はポリグラフポリグラフォヴィチ・コロフの殺害容疑。しかしフィリップは穏やかに対応し、ではコロフを、我が家のコロをお見せしましょうと言って口笛を吹きます。そして部屋に飛び込んできたのは、まだらに毛の生えた犬でした。サーカスでよく躾けられた犬のように二本足でヨタヨタと歩くが、すぐに四つん這いになり、周りを見回してまた立ち上がると、肘掛け椅子に座ります。
警察はまごついてしまい、シュヴォンデルも戸惑います。言葉がどんどん失われていると言われ、犬が一言喋ってその場は騒然としてしまいます。
騒動ののち、犬は犬としての楽しみを謳歌していますが…その時ふと、フィリップ医師の不穏な行動を見るのでした。

 

私はあまり歴史や政治に明るくないというか、いっそ暗愚ともいえるほど興味が持てない部分があり、おそらく何かきっかけがあれば理解もしようとするのでしょうが、この話によって語られている内容は実のところよくわかっていません。
しかし犬の本能と生き方を持ったままの人間になったコロフはまるで労働階級の人間と大差なく、良い働きや正しいことをしているわけでもないのに権利だけを主張しているようにも見えます。もしかしたら逆も然りです、権利が認められないので正当な働きをしない可能性もあります。そして、犬同然の彼らとの生活は、ブルジョアにはとても堪え難いのだということも分かります。
最終的に何が問題なのか、ということを考えた時、おそらくその身分格差が悪かったのだろうと思います。そして医者のようなブルジョアは好きなことが好きにできても、プロレタリアは腐った肉のスープを食べて生きながらえているような有様を犬から見たって嫌なんですよ、人だって嫌ですよ、という感じに皮肉っているのではないかと思います。
一つ言えることは、犬が人になっていく過程の逆が、後半で起こっているということです。フィリップ医師はそれを退化や先祖返りだと言いますが実際のところは違うでしょう。そしてそれは読者と、フィリップやボルレンタール、そして女中達のみぞ知るのです。

 

正直改造系で非論理的、あるいは非科学的なのはわかっていますが、非常に良い作品です。これはTF系統の人も是非読んでほしい作品だと思います。
特に自我を徐々に失う、人間らしさを失っていく心理描写などに適用できそうな気配もあるので、オススメいたします。