変身譚録

人が何かに変身する作品について話してみる

『逢魔ヶ刻動物園』主に獣→人ですが

どうも、今回はジャンプの中でもズバ抜けたTF作品であると個人的には思っている『逢魔ヶ刻動物園』です。

僕のヒーローアカデミア』の堀越先生なのでご存知の方も多いと思います。ヒロアカも結構TFっぽい要素あるのでその内どこかで記事にします。

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さて、TF界隈でも人気だったのではないかと記憶しているオーマガ。
一応獣→人でなく、人→獣が主眼なんですよね。
てことでいつものざっくりあらすじです。
女子高生の蒼井華はドジな自分を変えたい、と思っている。そこでたまたま応募した逢魔ヶ刻動物園。園長の椎名の自己満足自己中心な運営に華がバイトの応募を辞退しようとするも採用となる。園は午後4時44分閉園。そこからは椎名が魔力を与えたことによって人間に近い姿となった動物の跋扈する、不思議な動物園となるのだった。

ということで、この作品には常にTF要素がある状態です。
煙でボフンのタイプではあるものの、各動物がいい感じにモチーフ化された擬人化は、単なる人間化と違って動物の様相が強く残ります。またそれぞれに動物たちが悩みや問題を抱えていることの解決に導いていくことが、その動物の生態に繋がっていることもあり、いわゆる萌えのアイコンとしての擬人化とは異なります。
また園長の椎名が元々は人間だったことも途中で語られることになります。作中、動物園の椎名(ウサギ)、水族館の伊佐奈(マッコウクジラ)、サーカスの志久万(ヒグマ)の3人が人間から動物に変えられた事がわかります。もちろんそれらもTFとして人から獣になるシーンがシーケンスであるわけではないのですが、彼らは言葉なきものの声を聞いて愛を示し(ただし相当広義)、世に轟く園を作り上げれば元に戻す、ということを、その姿を変えた主(かなり様々な動物を混ぜたキメラ)に伝えられています。
つまり三者がそれぞれの形で動物に関わりながら生きていることは、それ自体が本人の呪いを解くための活動ということです。

 

個人的には伊佐奈の左頭部だけが歪にマッコウクジラの様相を残していたり、ロングコートがクジラの尻尾に変化したりしているシーンはグッときますし、志久万が最終巻の読み切りの折にマズクを失って元の顔に戻るなどの表現は好きです。
シーケンスという意味では物足りなさもあると思いますが、動物たちの姿形や活動の様子を見る、という意味ではどことなく流行りの『けものフレンズ』に近いものも感じます。無論けもフレは女の子がメインでオーマガはオスがメインという差はありますし、行動や思考がほとんど動物に近いけもフレと、知識や知恵を得て人間臭い思考をするオーマガでは着眼点なども違うとは思うのですが。

 

最終的に打ち切りとなってしまいましたが、話を読む限り、百獣の主とも言える呪いをかけたキメラからは時間制限を課されていたような表現もありました。椎名に破れた後の伊佐奈が割と諦めた感じであったり、志久万が語った内容から察するに、その次元までに達成されなかった場合は彼らは元には戻れないのでしょう。
戻れない方が美味しいんですけどまぁそれはそれ。
椎名の感じる獣化後の孤独や、志久万による魔力を力とともに戻して同じ動物を擬人化させない力、伊佐奈の強制労働など、見れば面白いと思う点が多いと思います。
現状のヒロアカでもそうですが、誰が誰のために何をするのか、ということが大きく作中は響き続けます。
TF抜きにしても面白いと思うので、まだ手をつけていない方は是非読んでほしいと思います。