変身譚録

人が何かに変身する作品について話してみる

ディズニーの『ピノキオ』は良い文明

我々の世界ではご褒美です。
どうも、1日1記事は絶対無理だと思うんですが少し継続してみようかな。
ちゃんと埋め込めているか不安ですが、一般の方からするとトラウマなディズニーアニメ『ピノキオ』の動画のトリムを以下にどうぞ。一応パブリックドメインなので問題ないモノのはず。

www.nicovideo.jp

もう言うことないですよね。
ざっくり概要を述べますと、ピノキオは動ける木の人形として動き始め、学校に行きなさいとゼペット爺さんに送り出されたのち、ストロンボリ劇場で自立した人形としてスターになれるという誘惑に負けます。そして人形は人形だと不当に扱われたことで目が覚め、星の女神様によって助け出されますが、家に帰る前にファウルフェローとギデオンに捕まり、今度はノイローゼの治療と称してプレジャー・アイランドという場所に行く馬車へ強制的に乗せられます。そして遊びも悪いこともし放題の島で過ごす内にピノキオはそれらを楽しむことに傾倒し、ランプウィック少年と共に行動し、迎えにきたジミニーの助言に耳を貸しませんでした。怒って出て行くジミニーは言葉を仔ロバが喋ることができるかテストし、喋ると戻され、喋らないと服を剥ぎ取られて箱に詰められる様子を目にします。その頃、ピノキオとランプウィックにも変化が起こっていました…以下略。

ピノキオ』の特徴的なシーンの一つです。
実際に原作でも同様のシーンが比較的しっかりと描かれており、またピノキオもただのロバになってしまうシーンがあります。原作の児童文学中では彼らの様子として、うなだれ涙を流すロバ、足には子供用の靴を履いている、という描写があります。そしてピノキオはジミニーから見てもどこにいるかわからない、つまり生ロバ(というか少なくとも操り人形のロバではない)になってしまっています。しかもサーカスに売り飛ばされ、足を怪我したことで用済み扱いされて海に投げられてしまうわけです。

我々の世界ではご褒美です(二回目)。

快楽堕ちから罰としてロバ化、さらには商業流通の物質として売られるとか!
と、今ならそういう視点ですが、当然幼い頃はなかなかのトラウマでした。
しかしながら、やはり、既に3〜4歳の頃にはロバ化シーンをリピート再生していたので、三つ子の魂だと思います。

余談です。

ピノキオ』を始めとした多くの"TF要素を持つ作品"群は、ある程度体系化されていますが、『ピノキオ』はその中でももっともベーシックな体系を持っています。主人公の行動→悪人からの行動→変容による反省の促し→元に戻る。これは童話には多く観られ、例えば『美女と野獣』や『不思議な宿屋』など、動物に変化する過程を経て人間性を取り戻す形の流れとなります。
戻るんかいという気持ちもなくはないのですが(戻らない方がオイシイとは思いますとも)、お話の構成としては"戻る"ということは"成長"と同義になるので、必要なプロセスなのでしょう。

いずれ別記事でTFの傾向などについてまとめたいと思います。